がちゃん、とカップが倒れて、白いテーブルクロスにみるみる紅茶色の染みができていく。うわ、勿体ない。目の前で椅子から 落ちて尻もちをついている生徒会長様は、それはそれは自分勝手で横暴で紳士なんかじゃ全くないけど、紅茶を入れるなら右に出る者は いない。
 そういうわけで、勿論今日の紅茶も美味しい。生徒会室のベランダ(ちょっとむかつくくらい広くて立派)で飲んでいるので更に美味しい。
 料理の腕は本当最悪だけど、お茶の入れ方とと見た目だけはいい。今は地面に倒れてて情けない格好だけど。
「セー、シェル・・・っ、お前、何入れやがった・・・・・・!」
 うまく声が出ないみたいで掠れた声で元ヤン会長が言う。視線の先にはレースペーパーが敷かれたお皿の上のクッキー。今日はフランスさんがいないので、 乗っているのは調理実習って言って持ってきたわたしの手作りだ。毒味はしてないけど中々の出来じゃないかと思う。
 ・・・・・・もしかしたら、たっぷり入れた薬のせいで少し苦いかもしれないけど。
 紅茶のカップを持ったまま見えないよう気をつけてしゃがみ込んで、地面に転がって冷や汗を浮かべている生徒会長様に言葉をかけた。今わたし、きっとすっごくいい 笑顔。
「知らないひとから貰ったもの、食べちゃいけないって教わりませんでしたー?」
「うる、せ・・・!あのクッキー、調理実習じゃ、なかったのかよ・・・・・・!」
「作ったのはちゃんとわたしですよ?フランスさんに教えてもらった、痺れ薬入りクッキーですけど」
 教わった頃はまさか本当に使うなんて思わなかったけど。人生何が役に立つか分からない。
 この間相談しに行って貰った薬はよく利いてるみたいで、疑わずに食べてしまった会長様はすっかり体に力が入らない様子。これなら何されたって 抵抗できない。たとえ相手が、非力なわたしみたいな植民地の女の子でも。
 飲み終えて空になったカップを置いて、何とか肘で体を支えてる状態の宗主国様に馬乗りになる。女の子に乗っかられてる、うわーかっこわるい。
「ちょ、セーシェル、降りろ!何する、気だっ」
「うーん、クラスのみんなには言えないようなことですかねー」
 人差し指を唇にあててかわいく答えたら、生徒会長がさっと顔を青くした。「お前、まさか、え?いや、そんな馬鹿な」とか何とか言いながら必死で逃げようとする。 何を想像してるか知らないけど、うん、無駄ですよ?逃げられないように強力なやつ貰ってきましたから。
「もー、往生際が悪いですよ」
「良くて堪るか!降りろっ!」
「いやです」
 手を暴れる会長の方へと伸ばす。生徒会長様が息をのんで、目をぎゅっと瞑った。顔を寄せたサラサラの髪から、ふわりと薔薇の香り。あ、いい匂い。
 どこのシャンプー使ってるんだろうなんて考えながら、背中に回した腕を交差させて抱きついた。ぎゅうっと抱き締めると、ゆっくり体温が伝わってきてあったかい。
 驚いた様子の(たぶんこんなことされたことがないんだと思う)宗主国さまの鼓動は少し早くて、それは几帳面に肩口に顔を 埋める私も同じだった。どくん、どくん、いつもより早い鼓動の音。
 せー、しぇる?と薬でうまく回らない声がわたしの名前を呼ぶ。途端にどきんと心臓が跳ねた。
 鼓動が速くなる理由なんて色々あるけど(うっかり暴言吐いちゃったあとに、侵略されないか、とか)、とりあえずこの場合は答えは簡単。 なぜなら、色々ものすごく不本意だけど、わたしはこのひとに恋してるらしいから。
 金色の髪にエメラルドの瞳、自分勝手で横暴で親切じゃないわたしの宗主国、大英帝国様に。
 三日前のフランスさんとの会話がよみがえる。最近生徒会長に会うと何か変なんですって相談したら返された言葉。
 予想の範囲内にその選択肢がなかったわけじゃない。でも違うと思いたかった。まさか植民地が、にっくき宗主国に、恋、してるなんて。

『こ、恋?わたしが、あのまゆげに?!』
『話を聞く限りそう見えるけどな。信じられないなら、今度試しに抱きつきでもしたらどうだ?』
『だ、抱き・・・・・・?』
『そう。だって、嫌いな相手なら抱きついたってげってなるだけだけどさ』

 ああ、本当に気のせいだったらよかったのに。でも鼓動は早まるばかりで、気のせいか頬まで熱くて、その考えを全部否定していく。
 どく、どく、鼓動は大きくてうるさい。一秒ごとに早くなる。そんなに急いでどうするのって言いたくなるくらい、駆け足で恋の路を駆けていく。

『それが好きな相手なら、どきどきする筈だろ?』

 外の世界を教えてくれたひとの見立ては正確だった。原因不明の動悸と胸の痛み、それと赤い顔。会っていると苦しいのに、会わないでいると もっと苦しくなるその症状を、俗に恋の病という。
 発見されてから数千年、未だに特効薬は開発されていないし、その日が来ることもないだろうその病気にわたしはかかってしまっていた。
「イギリスさん」
「な、なんだ」
 あ、顔赤い。照れてるのかなー、レディ・ファーストとか謳ってるくせに女の子に慣れてないなんて笑える。私としては助かるけど。恋敵なんて 少ないに越したことはない。・・・・・・そもそも存在するのかどうかは置いといて。
「好きですよ」
 顔を見ないで言った告白の言葉に生徒会長様は固まってしまった。横目でちらりと見た顔は真っ赤で、何かを言おうと口が動いて いたけど音になっていなかった。平常状態に復帰するのに時間がかかりそうだったから、しばらく抱きついていることにする。 どうでもいいけど、このひとわたしより細いんじゃないだろうか。何かすごく敗北感。というか女の子より細い男ってどうなんだろう。
 わたしより細くて口も態度も最悪、いいのは見た目と紅茶だけ。なのになんで好きになってしまったのだろう。・・・今更そんなことを言ったって遅いのは わかっているけれど。
 でも、恋するならもっと素敵なひとが良かったなあと思って、わたしは好きなひとに抱きつきながらため息をついた。


 けれどそう簡単に治るなら、恋の「病」なんて言わない。



 (好きと嫌いの境界線)

-------------------------------------------------------------

素直じゃない組二人。